何がしたいの? 銭闘工兵

どんな難問も、適切に設定できれば

祖父と宗教と母親

大分前になくなった祖父は山口県出身だった。

大昔、山口出身の祖父が県外にでて、仕事をする上で応援してくれたのが、現在の安倍事務所である。

 

だから祖父は安倍晋太郎さんの代よりも前から、ずっと応援していていた。

 

安倍晋三さんが、晋太郎さんが叶わなかった首相にまでなったとき、それはもう大変なよろこびようだった。

 

そんなこんで、我が家は、ずーーーーーーーーーっと昔から現在の安倍家一筋なのである。

 

ただ、今回の件で、亡くなったわけで、大変残念なのだが、あまり犯人を恨む気になれない。

 

自分の母親も、宗教にどっぷりつかっているためか、まぁ、しょうがないか という気持ちが強い。

 

自分は、宗教自体は、特に好きでもなければ、嫌いでもない。

神というものは、人間がつくった、『やりきれない気持ちの受け皿』 という認識だ。

この世は、自分の力だけでは、どうにもできないことが多すぎて、自分の責任だと思うとやりきれないことが多いからな。

やりきれない気持ちを抱えたまま、生きていくのはつらいから、その受け皿としての宗教は、いいと思っている。

人類の知恵の結晶だよね。

上手くできていると思う。

キリストやモハメッドやら、ブッタとか、こういう仕組みを考えたやつは、すごいと思う。

 

ただ、このどっぷりと宗教につかっている母親を相手にするのが、死ぬほど面倒くさいんだよな。

母親の信じている神を 自分が信じるかどうかなんて、自分の勝手だと思っているのだが、母親からすれば、自分がいいと思うものをお勧めしているだけ ということらしい。

 

何十年も毎回毎回顔を合わせるたびに何かの話がでるたびに、うっとしい説教を聞くと、いい加減殺意がわいてくるよ。

 

ほんとうに馬鹿馬鹿しい。

 

だからだろうな、犯人に同情している自分がいる。

あぁせざるを得なかったんだろうな と思う自分がいる。

 

犯人は 気分を切り替えて、母親を見限って生きていけばいいじゃない とか言っている人がいるけど、両親が原因のやりきれない気持ちを、母親のせいで宗教に頼るという選択肢を奪われて、生きていくのは、とても大変で、つらいんじゃないかな。

 

ほんとにやりきれないなぁ と思う今日この頃でした。